アメリカとメキシコでの移動手段は車だけだったので帰国して久しぶりに電車に乗りました。
東京ではどこへ行くにも電車が便利ということには変わりないのでしょうけど、ついつい目を見張ってしまうのは先を急ぐ人々です。
2005年2月、メキシコ人のアミーガ(女性の友達)イメルダが10年来の夢だった日本初訪問を果たしました。
もちろん土地勘があるはずもなく、日常会話程度の日本語力の彼女は、道に迷うと急いでいる人たちには決して声をかけなかったそうです。彼女のジェスチャー付の日本人の描写に思わず大笑いしてしまいました。
「どうして?」って尋ねたら、案の定「絶対立ち止まってくれないから」という答えが返ってきましたが、真夏の、しかも蒸し暑い東京で先を急いで走っている人があまりにも多いのには驚かされます。
ニューヨークに住む人は歩くのが早い人が多いことから、アメリカでは「ニューヨーカーは冷たい」とよく言われますが、田舎から出て来たばかりの人にとって、きっと東京人の印象はニューヨーカーのものと同じでしょうね。メキシコのように道を尋ねれば丁寧に教えてくれる(でも間違っていることもしばしばなのは問題)国民性は稀でしょうけど、そういった人間の触れ合いって大切だと思うのは私だけではないはず...。
ごく普通のOLっぽい着飾った女性が必死になって道を走っていたり、満員電車に飛び乗る光景を見ると、そんなに急いでどうするのと聞きたくなってしまいます。
1990年代後半にインターネット業界を「ドッグイヤー」と例えたり、グローバル経済化なくして企業の繁栄はない、全て勝ち組・負け組みとか区別しようとする時代に、納期を守るのが当たり前の国、日本では疑問を持つ方が可笑しいと思われるでしょう。急いでいる方に理由を尋ねて「約束の時間に遅れるから」とか、その人の置かれた立場や状況を十分に理解できる答えがきっと返ってくることも理解しているつもりですが、つい「ゆっくり歩こう! 日本」とか独り言を発してしまうのは私だけでしょうか。