1万キロの引越し...、みなさん想像できますか。
2003年の夏、自分の小さな車で米国ロサンゼルスから3000キロ離れたレオンに3日かけて引越して来ましたが、帰国のために荷造りをしようと部屋を見渡していたら2年前と同じようにアメリカ・メキシコで4年近く暮らした日々が懐かしくなりました。一方、2001年に日本を発った時とは比較にならないほどモノが増えていて、荷造りのし甲斐があり過ぎることに愕然としてしまいました。本来ならメキシコで処分すれば済む話ですが、想い出の品々などをみるとどうしても捨てられそうにありません。そんな私は荷作りに励むしか選択肢がありませんでした。
結局荷造りを始めて丸々6日間かけて、家を引き渡せるようになったのですが、予想以上に時間がかかってしまったのは、何よりも家具の処分が予定通りに進まなかったためです。つまりハイエナのように品定めしていった友達家族が結局家具を引き取れなかったのです。
家族は、引越しの数日前、扇風機などの小さなモノを引き取りに来て、6月5日(日)午後3時までに家具を取りに来る約束で去っていったのだけど、当日の4時を過ぎても現れない。仕方ないので友達に電話してみたら、約束を守らなかったことに対しては触れず「おじさんやおばさん(=購入者)がいない。探してみる」と言うだけのふてぶてしい返答で、自分が約束を破った非を認めようとしません。メキシコ人は得てして図太い神経をしているので開き直った友達の返答は別に驚くことではなかったけど、友達の言い訳は結局「お金がない」ということなんですよね。ベットやテーブルなど大きな家具を先約していたので、内心お金を払ってもらえるのか心配だったのだけど、最悪な状況を迎えてしまった訳です。友達に何を言っても埒が明かないので、その日は翌日の10時までに連絡がなければ他の人に家具を引き取ってもらうことを伝え電話を切りました。
結局、予想したとおり翌日10時を過ぎても連絡がないので、家具は別の友達に頼んで引き取ってもらうことになり、荷造りを始めて6日目にようやく掃除した家を無事引き渡すこととなりました。
工場で知り合った友達は、最近辞めたばかりでした。彼女ができた頃から、仕事の質が悪くなったため辞めてもらったというのが実際のところなんですけど、大学に通いながらでは時間的な制限がありますし、彼も理解していたと思います。
約1年間、彼と仕事をして来て、海外と仕事をする際には「納期や約束は守らなければならない」と厳しく話してきたんだけど、結局彼はそういった感覚は持ち合わせていなかった、理解できなかったことを引越しで思い知らされました。家具の処分に困ったこと以上に何よりも友達との関係が自分が考えていたものとは違っていたことがとても悲しかった。お金がないなら、お金がないと言えばよい話しだし、当日の約束の時間になっても連絡もない、しかも(私の電話番号を知らなかったかから連絡できなかったと装いたいのか)電話番号をまた聞いてきた友達の行動は、これまでの関係が何だったのか考えれば考えるほどに、悲しくて悲しくて仕方ありません。
でも、こんな話を知り合いの日本人にすると、メキシコ人には珍しいことではないと一掃されてしまいます。自分自身もそんなメキシコ人を理解しているつもりだけど、しかし友達のミゲルはよき理解者でもあったし、彼と一緒に働いた日々を思い起こすと、彼はそうあって欲しくなかった。辛い別れになってしまいました。