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怖~いアメリカ移民局(INS)

2005年06月22日 12:52 - アメリカ

1500キロのドライブも終わり、レオンを出発してから2日後の2005年6月19日アメリカ国境に辿り着きました。
入国用の車のレーンが10個くらいあって、空いていたレーンに行くと移民局の人に「国籍は」「なぜアメリカに来たのか」「車の持ち主は誰か」など色々と聞かれ、メキシコからアメリカに入国したことは何度かあるけどパスポートを照会したり、以前にも増して入国審査が厳しくなっていることは明らかでした。

入国手続きをするために車を一旦停めて、移民局のオフィスに行き、Visa Waiver Program(日本やイギリスなどの国籍の人は90日以内なら基本的にビザなしで入国できるプログラム)の申請をしたいことを担当官に伝えると、またもや「なぜアメリカに来たのか」「メキシコでは何をしていた」「いくらお金を持っているか」など色々と聞かれました。挙句の果てには現金を見せろと、これまで経験したことがない対応に一抹の不安を覚えつつドル紙幣を見せると、ドル紙幣と一緒に持っていたSocial Security Number(SSN、社会保障番号)の封筒に担当官の眼が留まったのが、今考えると悪夢の始まりだったのかもしれません。
SSNはアメリカ国籍を持つものなら誰もが持っている税金の申告等に必要なもので、外国籍の人でもアメリカで働いている人はSSNを持たなければなりません。移民局の担当官は神経質の極みと言うか、融通が利かない堅物のような人で、誰が見ても私を入国上問題のある人物扱いしているのは間違いありません。過去に質問されたことがプライベートなことまで根掘り葉掘り聞かれ、Visa Waiver Programの申請用紙をもらうどころか私の出入国履歴を調べ、挙句の果てには厳重に入室を管理された移民局の事務所内の別室での対応となりました。
別室に呼ばれることになるとは想像もしていなかったし、1日以上監禁された友達の父親の話を聞いていたたので、自分がどうなるのか恐怖心に満ちていました。「アメリカに入国できないのならメキシコに帰る」「何が問題なんだ」と言いたくなったり、何とも表現しにくい精神的な不安を覚えたのは確かです。

別室では担当官の上司らしい人がいて、担当官が私のことを説明しています。
上司にも同じ質問をされ、その間も担当官は横槍を入れてきましたが、上司は結局「何が問題なんだ」と吐き捨てて、その場を立ち去ってしまいました。上司が問題ないと言ったのだから申請手続きに入るのかと思ったら、今度は車がどこにあるのか担当官は聞いて来るのでありました(既に何度も車のある場所を説明したのにかかわらず...)。

車を停めた場所に行くと、担当官は彼の神経質さをさらけ出すかのように、ダッシュボードやら荷物を空けては詳細に調べ始めました。
既に移民局に着いてから1時間以上経過していたし長旅で疲れていたこともあり、この頃の私は担当官の対応に呆れてしまうしかありませんでした。その調べ方はハッキリ言って異常以外の何ものでもなく、いつまでも調べていそうなので途中で「何を探しているのか」を担当官に聞きたくなる自分を抑え、横で麻薬犬を使って他の車を麻薬がないか調べている人も呆れて担当官を見ていたと感じたのは私だけでしょうか。
ちなみに横に停まっていた車は麻薬犬の反応があったのか、車のいたるところを調べています。ダッシュボードやタイヤはもちろん、麻薬が入りそうなあらゆる空間を詳細に調べている姿は、空手が習うにはどうすればよいかなど個人的なことを聞いてくるメキシコでの対応とは全く違いました。

荷物を調べ始めて30分以上経った頃に、担当官は別の移民局の人に私の説明をしているようで、彼も上司と同じようなことを担当官に言ったためか担当官もようやく諦めたようで、移民局の事務所に連れて行かれ、やっと入国の許可を得ることができました。
これまでの間終始、他の移民局の人も私に何が問題あるのかと言うような態度で担当官を眺めていたと感じていたので、入国のための費用を支払う際に別の人に「こんな経験をしたことがない。今後アメリカに入国できないなんてことにはなりたくないから、何か問題があるのか率直に教えて欲しい」と尋ねると「彼(=私の担当官)は単に自分の仕事をしている。ただそれだけだから、問題はない。私が言えるのはそれだけだ」と言う何ともお役所らしい回答しか得られませんでした。

無事に入国して分かったのは担当官によって全く対応が異なるということで、入国する上で問題のない人でも入国を拒否される可能性があるだろうし、一度トラブルを抱えたらある程度英語を理解して話せないと、地獄のような経験をすることになりそうです。
私の担当官は身体的な障害を持っていたので、かなり英語が聞きづらく苦労したのですが、もしかすると何度も聞き返した私に腹を立てたのが、今回の悪夢の真のきっかけだったのかもしれません。(念のため)もちろん担当官を差別するとか蔑視するつもりで聞き返したつもりはありません。
以前ある日本人がカリフォルニアの英語は早くて理解できない、テキサス人(テキサンと呼ばれる)の英語は聞きやすいとか言っていたけど、個人的には何故かテキサス人の英語は聞きづらいのは確かなんです。

今回の経験をどのように捉えるかは別として、なかなか誰もが経験できないことを経験したことは確かで(そんな眼に会いたくないと言われそうだけど)、今回のことをネタに友達と旨いビールを飲めそうです。



国境まで ~ 1500キロのドライブ

2005年06月21日 13:44 - メキシコ

4年近く苦楽を共にした愛車、三菱エクリプスにおよそ300キロの荷物を詰め、18日夕方グァナファト州レオンからアメリカとの国境に向け1500キロのドライブが始まりました。
もちろん高速(Autopista)を利用しましたが、メキシコの高速道路システムは各高速道が繋がっていないので、途中市街地を通りながら別の高速道に乗るようになっています。これが厄介でレオンからアメリカの国境の街エルパソ(El Paso)まで、Aguascalientes(アグアスカリエンテス)、Chihuahua(チワワ)のような大きな街があり、それぞれの市街地を抜けるのに約1時間もかかり、車の多い市街地で見にくい道路標識を確認しながら次の高速に乗り換えなくてはなりません。既にレオン-エルパソ間は2回ほどアメリカ側から運転したことがありましたが、やはり途中で道に迷ってしまいました。メキシコで運転したことがあれば理解してくれるはずですが、とにかく文字が小さすぎて極端な場合50m位近くまで寄らないと全く読めないことも多い。標識が親切ではなく、例えば東京から東名高速で名古屋方面に向かう際に、途中のいくつかの標識は名古屋方面の表示がなく名古屋の先の別の街(例えば福岡)だけが表示されていたり、別のルートへの標識が出て来ても名古屋方面の標識がなかったりして、自分が通っている道が間違っていないか常に不安です。しかも土地勘がなく街の名も知らないところばかりだから市街地では標識に全神経を集中してしまいがちで、事故にならないか心配だったりします。これまで走ったことがない逆のルートだし、昼と夜の光景は全く違うわで、とにかく次の高速道路に乗るまで落ち着くことができませんでした。

何度か道に迷いながら、出発した夜は高速の料金所で車で仮眠しようとしましたが、荷物で埋まった車はシートを倒すこともできず、なかなか寝付けません。しかも寝付いたと思ったら蚊の大群に指された自分は痒くて痒くて起きてしまい(起きるまで窓を開けていたせいもありますが)、薄暗く所々しか光が当たらない車内で朝まで20匹ほどの蚊と戦うこととなってしまいました。暗い車内で必死に蚊と格闘している自分を他人には絶対に見られたくないと思いながら。

荷物を満載していたこともあり、国境までの全ての検問所で3回も車内を検査されました(いわゆる薬物を運んでいないかチェックされます)。
1回目の検問ポイントでは、検問所でニコニコしながら「こんばんわ」と言ってしまったのがいけなかったような気がしますが、そこでは軍の人が何台もの車をチェックしていました。早速車内を調べようとする軍人に「どうして」「調べても無駄だよ」と言ったら、手招きされながら「これを読め」と言われ、そこには英語で「法律で車内検査をすることがあり、ご迷惑をかけて申し訳ない」みたいなことが書かれていたのですが、ところどころ脱字(例えばTank You とか書かれていたり)があったりして、メキシコっぽくて可笑しくなってしまいました。
それからメキシコではよくある国籍を聞かれ(まず韓国人か中国人か、次に日本人の順で国籍当てされることが多い)、日本人なら空手ができるのか、空手を習うにはどうすればよいかなど質問され、車を止められ無駄な時間を過ごしましたが、アミーゴと他愛のない会話を楽しむことができ嬉しかった自分が不思議です。
ちなみに残る2つの検問所では「既に車内を調べられた」と言ったのにかかわらず、やはり簡単に調べられました。

でも一つ疑問が残り、調べると言ってもアメリカの国境のように麻薬犬を使う訳ではなく、全ての荷物を検査する訳でもありません。
これは私の想像に過ぎませんが、メキシコで検問しているのは形式的なものであって、決して全ての薬物の移動を止めようとはしていないように思えて仕方ありません。アメリカからの麻薬撲滅への協力を要請されメキシコ政府は仕方なく検問所を設けている、一方アメリカ政府はメキシコでの検問所の効果が疑問であることが分かっていても、道のない砂漠を越えて麻薬を運ぶこともできる訳だから完全に麻薬を絶てるとは考えていないはずです。メキシコ政府が検問所を設けてアメリカに協力していることでアメリカ・メキシコ間の良好な関係をお互いにアピールできるだけで十分で、しかもアメリカ国内の世論や政府への批判を最小限に抑えることができているような気がします。メキシコも麻薬犬を導入すればもっと麻薬を押収できると思いますが、運転しながら両国間の政治的な意図や駆け引きのようなものを感じました。

そんなことを途中で考え、窓越しにアミーゴに道を聞いたりしながら、出発して約25時間後に国境沿いの街シウダドフアレス(Ciudad Juarez)を通りメキシコ国境に到着、メキシコの移民局に行くために車を止めると洗車でお金を稼ぐ少年が寄って来て、一度は断ったのに勝手に洗車され(と言っても水を使う訳ではなくタオルで拭いただけだから全く綺麗になっていなかった)「カブロン!」と言いながらチップをあげ、メキシコに別れを告げました。



引越しの結末~アディオス・アミーゴ!

2005年06月10日 02:10 - メキシコ

1万キロの引越し...、みなさん想像できますか。
2003年の夏、自分の小さな車で米国ロサンゼルスから3000キロ離れたレオンに3日かけて引越して来ましたが、帰国のために荷造りをしようと部屋を見渡していたら2年前と同じようにアメリカ・メキシコで4年近く暮らした日々が懐かしくなりました。一方、2001年に日本を発った時とは比較にならないほどモノが増えていて、荷造りのし甲斐があり過ぎることに愕然としてしまいました。本来ならメキシコで処分すれば済む話ですが、想い出の品々などをみるとどうしても捨てられそうにありません。そんな私は荷作りに励むしか選択肢がありませんでした。

結局荷造りを始めて丸々6日間かけて、家を引き渡せるようになったのですが、予想以上に時間がかかってしまったのは、何よりも家具の処分が予定通りに進まなかったためです。つまりハイエナのように品定めしていった友達家族が結局家具を引き取れなかったのです。
家族は、引越しの数日前、扇風機などの小さなモノを引き取りに来て、6月5日(日)午後3時までに家具を取りに来る約束で去っていったのだけど、当日の4時を過ぎても現れない。仕方ないので友達に電話してみたら、約束を守らなかったことに対しては触れず「おじさんやおばさん(=購入者)がいない。探してみる」と言うだけのふてぶてしい返答で、自分が約束を破った非を認めようとしません。メキシコ人は得てして図太い神経をしているので開き直った友達の返答は別に驚くことではなかったけど、友達の言い訳は結局「お金がない」ということなんですよね。ベットやテーブルなど大きな家具を先約していたので、内心お金を払ってもらえるのか心配だったのだけど、最悪な状況を迎えてしまった訳です。友達に何を言っても埒が明かないので、その日は翌日の10時までに連絡がなければ他の人に家具を引き取ってもらうことを伝え電話を切りました。
結局、予想したとおり翌日10時を過ぎても連絡がないので、家具は別の友達に頼んで引き取ってもらうことになり、荷造りを始めて6日目にようやく掃除した家を無事引き渡すこととなりました。

工場で知り合った友達は、最近辞めたばかりでした。彼女ができた頃から、仕事の質が悪くなったため辞めてもらったというのが実際のところなんですけど、大学に通いながらでは時間的な制限がありますし、彼も理解していたと思います。
約1年間、彼と仕事をして来て、海外と仕事をする際には「納期や約束は守らなければならない」と厳しく話してきたんだけど、結局彼はそういった感覚は持ち合わせていなかった、理解できなかったことを引越しで思い知らされました。家具の処分に困ったこと以上に何よりも友達との関係が自分が考えていたものとは違っていたことがとても悲しかった。お金がないなら、お金がないと言えばよい話しだし、当日の約束の時間になっても連絡もない、しかも(私の電話番号を知らなかったかから連絡できなかったと装いたいのか)電話番号をまた聞いてきた友達の行動は、これまでの関係が何だったのか考えれば考えるほどに、悲しくて悲しくて仕方ありません。
でも、こんな話を知り合いの日本人にすると、メキシコ人には珍しいことではないと一掃されてしまいます。自分自身もそんなメキシコ人を理解しているつもりだけど、しかし友達のミゲルはよき理解者でもあったし、彼と一緒に働いた日々を思い起こすと、彼はそうあって欲しくなかった。辛い別れになってしまいました。



相手が何を言っているのか分からない

2005年06月01日 03:17 - メキシコ

メキシコで苦労したのは何と言っても言葉です。
メキシコなど中南米の国のほとんどではスペイン語が公用語となっていますが、スペイン語...勉強したことありませんよね。

実はメキシコに来たのは初めてではなく、過去にかれこれ10回程度訪れていました。しかし旅行と暮らすことは違って、たまに遊びに来てもすぐにスペイン語が必要でなくなる訳ですから直ぐに忘れてしまい、覚えていたのは大好きなビール、トイレなど、旅する上で自分が最低限必要な単語だけでした。
日本の英語教育のような文法重視の勉強ではなく、日々の生活からスペイン語を身に付けたかったということもあり、これまでスペイン語をまともに勉強したことがありません。これも言い訳ですが、やって来た当初は知り合いの語学学校に通うつもりでした。しかし言葉よりもブーツ販売をどうするか考えなくてはならなくなってしまい、そのままずるずると仕事にばかりに時間を費やしてきてしまいました。それでも今年の2月から日本語を勉強したいアミーガのイメルダと語学交換(お互いに語学を教えあう)を始めたところでしたが、彼女のお母さんが病気になってしまったため、残念ながら途中で立ち消えてしまいました。

仕事をする上でとにかくコミュニケーションを取らなくてはならず、身振り手振りで相手に伝え相手を理解する努力をしてきましたが、やはり限界があって後で誤解が生じていたことが分かることもしばしばでした(自分で責任を負わないために嘘をつかれ誤解ではなかった場合もありそうですが)。自分の理解と異なるために、やっと組み立てた販売方法を再検討しなくてはならなくなりくじけそうになることもあったけど、スペイン語が話せない私に根気強く付き合って理解しようと努力してくれるメキシコ人に励まされたことは決して忘れません(アミーゴ! ありがとう)。そんな優しいメキシコ人でなかったら、言葉の問題だけでメキシコが嫌いになっていたに違いありません。

言葉を理解できないことから、自分だけの力では何もできず、地に足が着いていないように感じる時期が長く続きました。自分の努力不足を感じつつも、仕事を言い訳に自分を甘やかして勉強をしなかったのは反省すべき点です。
でもメキシコに来た頃の自分を振り返られて「全くスペイン語が話せなかった」とからかわれながらも、最近になってようやく意思の疎通が図れるようになったような気がしています。意思を伝えたくて何て言おうかじっと考えても結局言葉が見つからず、当時働いていた正人君に「お願い」してばかりいたことを思えば、まだまだビジネスレベルではなくても大分スペイン語が理解できるようになったのは確かです(...と信じたい私)。



セルベッサ - メキシコの不思議

2005年05月30日 15:27 - メキシコ > 買う

アメリカのビールの安さについては以前書いたとおりです。

メキシコで飲んでいるのはMARLYN'S BEERと言うオランダ製ビールで、私が知る限り最も安い。セルベッサ好きな私はケースで買って常に20本程度冷蔵庫で冷やしています。
MARLYN'S BEERはWal-Martと系列スーパーマーケットだけが扱うビールで6缶パックが28.90ペソ(税込み)だから1缶当たり約47円。アメリカよりメキシコの方がビールは安い。あれ、でもここはメキシコ。第三世界なのに何故オランダから輸入したビールの方が安いのか理解に苦しむ。
メキシコ製のビールは安い時でも1缶当たり60円位。これはメキシコの生産能力が低いためだと思うんですが、IVAと呼ばれる付加価値税(15%)が課税されても1缶47円で売れるオランダのビールって原価はいくらなんでしょう。

※円建て価格は、2005年5月30日のペソ円換算レート(MXN=約9.7円)を参考に換算しました。



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