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Luna - 月

2005年09月04日 20:10 - メキシコ

日本に住んでいた頃「月」が綺麗だと思うことはほとんどありませんでしたが、メキシコに来てみて月の美しさに惚れ込んでしまいました。

メヒカーナを除いて、メキシコで思わず見とれてしまうもの、それが月でした。
私が住んでいたグァナファト州レオン市は、メキシコシティから約500キロに位置する街で標高が高い(たぶん1,500m)こともあってか、月は手が届きそうな存在でした。
太陽と対象的に扱われる月は、物悲しい、寂しいとか、多くの人にとってどちらかと言うと負のイメージが強いと思います。でもメキシコの月は、自分を包んで守ってくれるような、とても優しい表情をしています。
メキシコが誇る月、訪れる機会があったらぜひ夜空を見上げてみて下さい。

ちなみに、大学生の頃に行った沖縄の月も綺麗でした(月の表情は緯度によるんでしょうか)。
今となっては、15年も前の話なので沖縄の月を思い出せませんが、標高によっても月の表情は変わると思うんですけど...、また沖縄の月を見てみたいです。

〈お願い〉
メキシコで月の写真を撮られた方へ
優しい顔をした月の写真を掲載したいので、ご寄付頂けると有難いです。ご協力よろしくお願いいたします。



走る走る 俺たち♪

2005年08月30日 22:22 - 日本

アメリカとメキシコでの移動手段は車だけだったので帰国して久しぶりに電車に乗りました。
東京ではどこへ行くにも電車が便利ということには変わりないのでしょうけど、ついつい目を見張ってしまうのは先を急ぐ人々です。

2005年2月、メキシコ人のアミーガ(女性の友達)イメルダが10年来の夢だった日本初訪問を果たしました。
もちろん土地勘があるはずもなく、日常会話程度の日本語力の彼女は、道に迷うと急いでいる人たちには決して声をかけなかったそうです。彼女のジェスチャー付の日本人の描写に思わず大笑いしてしまいました。
「どうして?」って尋ねたら、案の定「絶対立ち止まってくれないから」という答えが返ってきましたが、真夏の、しかも蒸し暑い東京で先を急いで走っている人があまりにも多いのには驚かされます。
ニューヨークに住む人は歩くのが早い人が多いことから、アメリカでは「ニューヨーカーは冷たい」とよく言われますが、田舎から出て来たばかりの人にとって、きっと東京人の印象はニューヨーカーのものと同じでしょうね。メキシコのように道を尋ねれば丁寧に教えてくれる(でも間違っていることもしばしばなのは問題)国民性は稀でしょうけど、そういった人間の触れ合いって大切だと思うのは私だけではないはず...。

ごく普通のOLっぽい着飾った女性が必死になって道を走っていたり、満員電車に飛び乗る光景を見ると、そんなに急いでどうするのと聞きたくなってしまいます。
1990年代後半にインターネット業界を「ドッグイヤー」と例えたり、グローバル経済化なくして企業の繁栄はない、全て勝ち組・負け組みとか区別しようとする時代に、納期を守るのが当たり前の国、日本では疑問を持つ方が可笑しいと思われるでしょう。急いでいる方に理由を尋ねて「約束の時間に遅れるから」とか、その人の置かれた立場や状況を十分に理解できる答えがきっと返ってくることも理解しているつもりですが、つい「ゆっくり歩こう! 日本」とか独り言を発してしまうのは私だけでしょうか。



これって本当はいくらなの?

2005年08月29日 02:37 - 日本

帰国して驚いたのは、全ての商品の価格帯が以前とは明らかに違うことでした。
私が日本に居た頃もデフレスパイラルとか言って日本経済の地盤沈下が叫ばれていたのですけど、全体的にしかも急激に物価が下がってしまったイメージは拭えません(それでもアメリカと比較するとまだまだ高いと感じることも多いんですけど)。

商店街を歩いていてコンビニでは500mlのペットボトルの緑茶が149円で売られているかと思えば、すぐ近くのお店では同じ商品が105円と言った安値で売られていることも珍しくない。しかも某コーラメーカのような有名ブランドの水(2L)が99円で売られているのには驚きました。3・4年前は2Lの水だったら160円位が最安値だった記憶ですので、有名ブランドだから大丈夫だろうと思ってもついつい品質が落ちていないか変な勘ぐりを入れてしまいたくなります。
ちなみにアメリカに居た頃はArrowheadの水・1ガロン(約3L)をセールで約1ドルで買っていましたから別に驚くことではないはずなのですが、世界で最も人件費の高い(とこれまで言われていた)日本での流通費などを考えると利益が出ているのか...、影で泣いている人は少なくないんだろうなあと余計なことを考えてしまいます。同じ商品でもお店によって値段が違うのは資本主義経済の常(恩恵)なのでしょうが、これって所得格差問題を象徴していて、低賃金で労働力を得ることができる時代だから、消費者ばかりではなく企業も数年前までには予想もしなかった低価格設定を保持できているんでしょうね。

かと思えば未だにブランド和牛が平然と高額で売られている日本。
アメリカやメキシコでも一般向けの料理番組はありましたが、グルメ情報と言ったものを見る機会は結局ありませんでした。夕方テレビをつければ美味しいラーメン店を紹介していたり、○○産と銘打たれた食材から創作される料理を芸能人が美味しそうに食べていたりと、日本人の食の探求心は世界でも類をみないのではないでしょうか。
100円で買える海苔もあれば、数千円もする有明産の高級海苔...、個人的には考えさせられます。

話は逸れてしまいましたが、3~4年前の相場しか知らない私は、買った後で同じ商品がもっと安く売っていたりして後の祭り状態が未だに多い価格オンチでありました。



逆カルチャーショック - あれ、何か違うぞ!?

2005年08月15日 01:59 - 日本

2005年6月24日(金)、約3年8ヶ月ぶりに日本に戻ってきました。
あれから、いつの間にか1ヶ月半も経ってしまったんだ...。

帰国すると直ぐに部屋探し、仕事探し、そして予想外の母親の入院など、台風一家に巻き込まれたような日々でした。引っ越したら引っ越したでトイレットペーパーなどの生活必需品を買い揃えたり、荷物が届くのを待ったり...と、引越しって意外と労力や時間が要るんです。思わず、アメリカやメキシコで何もなく暮らし始めた日々を思い出してしまいました。

そんな中、帰国してから違和感というのか妙な感覚が未だに抜けずにいます。逆カルチャーショックと呼ぶのは大袈裟だし、3年ちょっと海外で生活しただけで日本での生活に違和感を感じるはずがないとも思うんですが、本人にとっては結構深刻な問題なんです。

●違和感を感じるもの … ドアの開け閉め

デパートやビルなどに入る際(家を例外として)に、日本ではドアを押しながら建物に入るケースが一般的ではないでしょうか。ハリウッド映画で、男性がドアを開けて(引いて)女性をエスコートするシーンを思い出して頂くと分かりやすいと思いますが、アメリカの場合、ドアを引いて建物に入るのが基本で、同じ建物に入ろうとする人が続いていたり、眼の前に外へ出る人がいたら、ドアを押さえてあげて相手に先を譲ることが多いです。逆に自分のすぐ前にいる人が自分だけ入ってドアを離してしまったら(閉まったら)不快感を感じることになってしまいます。
日本のドアには「引」「押」とか書いてあることに気付いた私は、アメリカのドアの多くは「引」だったなあと自分の曖昧な記憶をたどりながら、日本でもドアを押さてあげようとするんですが、ドアが「押」となっているから仕方なく押して入って、ドアを押さえてあげようとすると、ドア自体が元に戻ろうとするし、しかもドアが意外に重くてドアを押さえてあげるのがキツイいんですよね(ドアを押して入った場合押さえにくいし、日本のドアって必要以上に重くないですか?)。またアメリカのように気軽に「ありがとう」と言うのに慣れていないためか、ドアを押さえてあげると相手が不思議そうな顔をすることが少なくないです。
でも直ぐ後ろの人も同じ建物に入ろうとしているのに、少しも待たずにドアを離してしまうのは寂しい気がします。日本もアメリカのようにドアは「引」くのが基本なら、もっと楽にドアを押さえられてマナーが定着するんでしょうか。



友との別れ

2005年06月23日 08:52 - アメリカ

Mitsubishi Eclipse2001年11月5日、成田を後にしてLAに着いて早速探し始めたのはアパート、そして車でした。
アパートには2年ほど前に別れを告げましたが、ここEl Pasoではもう一人の友、1990年製の三菱エクリプスと別れを告げなくてはなりません。

米国に入国した翌日の2005年6月20日、まず郵便局に行きメキシコから運んできた荷物を発送すると、それからカーディーラーを探すことになりました。El Pasoはフリーウェイを通った、ホテルに泊まった程度の知識しかないので、とりあえず各自動車メーカーのディーラーが集まっている通りを走ってみることにしました。三菱のディーラーを見つけ立ち寄ってみると、接客してくれた男性が上司に尋ねたらしく「今は興味がない」との返答。三菱の評判はアメリカでは最悪で、1昨年中古車の相場を調べた時に2年前の半額近くまで落ちていることは知っていたけど、三菱のディーラーなら買ってくれると踏んでいただけに今後の展開がいささか不安になってしまいました。ちなみに横に並列して営業していた韓国のKIAの商談ルームは満杯で、三菱の商談ルームには誰もいなかったことが印象的で、アメリカでも未だに厳しい経営状況なんでしょうね。

気を落とす暇もなく次のディーラーへと車を走らせますが、自動車メーカーのディーラーばかりで全く独立したディーラーがなく5キロ程走ったところに「USED CAR」の看板を発見、早速聞いてみることにしました。
初めに接客してくれた男性は「Trade-inしか扱っていなくて、中古を買っていないんだ」と言う回答で、「Trade-in」の意味が分からず聞いてみると、車のオーナーから車を預かって売れたら手数料を引いてお金を支払うシステムだそうで、今売りたいと話すと社長らしき人が出て来て、とりあえずドライブしてみたいと言うので、彼と試乗することになりました。

私の車は手入れをしているので、コンディションは年代を感じるものではないと胸を張って言えるのですが、ディーラーの彼はボンネットを開ける訳でもなく外観を見てドライブしただけで「いくら」と聞いてきました。三菱のディーラーで弱気になってしまっていた私は思わず「500ドル」と答えてしまい失敗したと思いつつ、彼の「400ドルなら買いますよ」の一言で相手に強気に出られた今となっては、自分を戒めるしかありません(実は私は価格交渉がとっても苦手です)。とりあえず他のディーラーを当たってみたかったので、明日また来ると言い残してその場を立ち去り、次のディーラーにかけることにしました。

次のディーラーをさらに5キロ程走ったところで発見し、寂れた建物へと恐る恐る近寄ってみるとメキシコ系っぽい女性が対応してくれて、またもや社長のような人を呼んでくれました。社長は「ドライブしていいか」と言って、しばらく彼のドライブを待っていると戻って来るなり「いくらで売りたい」と言うので(弱気な私は)「600ドル」と答え、更に「いくらまで落とせる」と聞かれ思わず「500ドル」と答えてしまい商談は成立してしまいました。
1990年製の三菱エクリプスの相場はEl Pasoではおよそ575ドルでしたので、贅沢は言えないし、また帰国日を早く決めたいこともあって、100ドル札5枚を手に女性に送られてモーテルに帰って来たのでありました。

でも不思議なのは2店で買取査定してもらったけど、エンジンルームを見る訳でもなく外観とドライブしただけで交渉が成立する、アメリカのアバウトさです。年式が古過ぎるからか、オイル漏れがないかとか調べそうなもんだけど、おっとりしていると言うイメージ通りのテキサン(=テキサス人)でした。

Mitsubishi Eclipse私が三菱エクリプスのオーナーになってから、既に3年半が過ぎました。
夜ハイウェイを走っていたらタイヤがバーストしたり、ハイウェイに乗った途端に発電機の故障で止まったり、いろいろなことがあったけど、2回のアメリカ・メキシコの往復にも耐え、本当によく付き合ってくれました。
この間ドライブしたのは約47,000マイル(約7万5千キロ)。車を手放すまでの走行距離は約15万7千マイル(約25万キロ)と、日本では信じられない距離ですが、1度もエンジンを交換することもなく世間の三菱への評判をよそに個人的にはよくここまで走ってくれたと感謝感謝です。
手入れをした愛車を手放すのは心苦しかったけど、これからはテキサスの地で活躍してくれることを願っています。



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